岩谷産業の歴史と「台所革命」
日本におけるLPガスの起源として頻繁に語られるのが、1929年(昭和4年)にドイツの飛行船「ツェッペリン号」が世界一周の途中で霞ヶ浦(茨城県)に飛来したエピソードだ。この時、燃料として積まれていたガス(ブラウガス)がプロパンガスに近い成分であり、これが日本で初めてLPガスが認知されるきっかけとなったといわれている。その後、1940年(昭和15年)ごろには、一部でガソリンの代用燃料として自動車に使われた記録も残っている。
驚異的な成長とエネルギー転換
このLPガスが家庭用エネルギーとして本格的に普及し、「薪(まき)や炭」に取って代わり始めたのは、高度経済成長期に差し掛かる1950年代後半(昭和30年代)に入ってからのことだ。都市ガスや電気といった家庭用エネルギーの中では最後発であったにもかかわらず、その後の普及スピードは驚異的だった。
1955年(昭和30年)当時、全国でわずか40万世帯にすぎなかったLPガス利用家庭は、東京オリンピックの前年である1963年(昭和38年)には600万世帯へと爆発的に拡大した。
山間部や海辺など全国津々浦々へ
導管(パイプ)を地中に張り巡らせる必要がある都市ガスは、人口密度の高い都市部でしか利用できない。対して、ボンベに詰めてどこへでも運べるLPガスは「分散型エネルギー」としての強みを持つ。山間部から海辺の集落、離島にいたるまで全国津々浦々に普及し、地域格差なく快適で豊かな生活を送り届けるインフラとなった。
「主婦をススから解放せよ」台所革命の理念
岩谷産業の創業者であり、後に「プロパンの父」と呼ばれる岩谷直治氏がLPガス事業を本格化させたのは1953年(昭和28年)。当時の日本の台所は、薪や炭を使うカマドが主流であり、主婦たちは煤(スス)や煙にまみれながら火おこしを強いられていた。
岩谷氏は「主婦をカマドの重労働から解放し、台所革命を起こす」という熱い信念に加え、「薪炭のための樹木乱伐を防ぎ、国土の緑を守る」という環境保護の視点(愛林運動)も掲げて販売を開始。 ボタン一つで火がつく魔法のような燃料は、またたく間に支持され、岩谷産業はLPガスのパイオニアとして業界を牽引する立役者となった。
「もらうガス」から「買うガス」へ:輸入システムの確立
普及当初のLPガスは、国内の石油精製過程で出る「余り物(副生ガス)」を利用していたため、供給が不安定だった。そこで岩谷産業は、事業開始当初から「ガス資源の安定確保」と「大量輸送」を構想していた。
1960年代に入ると、サウジアラビアなどの産ガス国と直接輸入契約を締結し、自前の巨大タンカーで日本へ運ぶルートを確立。国内各地に輸入基地や充填所を整備し、そこから「マルヰ会(岩谷産業の販売店組織)」を中心とした全国の販売店ネットワークを通じて消費者に届ける仕組みを作り上げた。
流通手法を独自に開発
現在、業界で一般的となっている「輸入・卸売・直売」というLPガスの流通システムの原型や、保安(セキュリティ)の仕組みの多くは、岩谷産業が他社に先駆けて独自に開発・構築したものだ。